
梅雨の季節になると辺見庸に心が向かうのは、自分の中ではやはり確かなことらしい。梅雨寒の湿りきった空気の中で、心が内側に向かい、ネットやブログの情報ではしっくり埋まらず、辺見庸の文章の世界に浸る。深層世界で辺見庸と梅雨の季節がくっついているのは何故だろうかと考え始めたら、何となく思いつく理由がありそうで、その一つは、「永遠の不服従のために」の冒頭に置かれた小編「裏切りの季節」の表象であり、もう一つは、「いま、抗暴のときに」の中にある傑作「日常という化装」の残像である。両方とも実に華麗で秀逸な作品で、辺見庸の世界を存分に堪能させてくれ、読後に期待以上の満足と興奮を与えてもらえる。一言一句、一行一文が芸術的に素晴らしい。「裏切りの季節」は、丸山真男の「
知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題」という言葉をキーにして、現代におけるマスコミの「裏切り」を、アジサイの花の色模様の変化と交錯させてパラレルに説き語る小論で、その文章の企画と構成の天才、絶妙な筆致と説得に恍惚とする。
More